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ドラえもん のび太のゾンビフィーバー

――故・藤子不二雄F氏に――

 のび太は深く溜息をついた。日常に嫌気がさしてきたのだ。毎日毎日母親に叱られ、先生にどやされ、ジャイアンとスネ夫に苛められ、静香には愛想をつかされ、出来杉にはネチネチと嫌味を言われ続けている。ドラえもんはどうかというと、居候の分際で働きもせず、ゴロゴロと寝転がって、大好物か何か知らないが、ドラ焼きを延々と咀嚼し、嚥下し続けている。毎日が同じことの繰り返しだった。
 今日も休みだというのに昼間から机に向かっている。勿論、自主的にではない。宿題という意味のない作業をさせられているのである。傍らではドラえもんがコロコロコミックを読みながら、のび太がエスケープしないように、その機械仕掛けの眼球を光らせている。そばの皿には当然ドラ焼きの山。ロボットのくせにドラ焼きをぱくついては莫迦笑いをあげている。たとえドラえもんの隙を窺って尻尾を引っ張り、機能を停止させたところで、一階には母親と父親が控えている。父はまだいい。彼は話が解る。しかし母は違う。彼女はわが家の専制君主だ。彼女に逆らったりでもしたら……。
 のび太はもう一度溜息をついて、ドラえもんの様子を窺った。こいつは本当に自分を助けに来たロボットなのだろうか。ロボット(ROBOT)とは、もともとチェコ語で「強制労働」の意味である。だからこいつは人間のために始終働き続けるべきなのではないのかと、のび太は考えずにいられない。もしかしたらドラえもんは、未来から送られてきた刺客なのではないかと、本気で思うこともある。のび太の子孫に敵対する組織が、のび太を駄目人間にするために送り込んできたのではないのか、と。明らかな殺人ロボットを造ったのが発覚したら警察機構に捕まるだろうし、もしそれを過去に送れたとしても、じきにタイムパトロールに見つかってしまう恐れがある。ならば、このように一見無害で便利そうなロボットを造り、送り出し、二十世紀から見たら夢のような道具をのび太に与え、甘やかすだけ甘やかし、ドラえもんなしでは生きていけない人間の屑に仕立てようとしているのかもしれない。
 しかし、そんな妄想を抱いてみたところで詮ないことではある。何より証拠がない。それに力ずくでドラえもんに問い質してみたところで、やつが本気を出したらのび太ごときは瞬く間に殺されてしまうだろう。あるいは、もしもボックスで消されるか。
 結局、自分にはどうすることもできないのだ。のび太というちっぽけな存在には、世界を変えることなんて、出来やしない。のび太にできることといったら、綾取りと射撃と昼寝ぐらいのものである。他にはなんの取り柄もない。
 なんだ、もう既に自分は駄目人間なんじゃないか。だったらこのままドラえもんとなあなあのつきあいを続けても、何も変わりやしない。ならばこのまま生きてゆくのも悪くはなかろう。ドラえもんにどんなプログラミングがされているのかは知らないが、命を奪うものでもない限り、一緒にいてやってもいいだろう。こいつは何かと便利だ。所詮ロボットだし、情が移るなんて莫迦げたこともあるまい。
「ドラえもん、何か面白いことない?」
 そう、声をかけてやる。
 すると、のび太の声にドラえもんの人工知能のプログラムが反応し、その複雑なボディに命令を送る。
「ないよ。それにのび太くん、宿題の最中じゃないか」
 つまらない答えが返ってきた。いつもと同じような、月並みな返答。少しは気の利いたことでも言えばいいものを。このロボットの学習機能もこの程度か。のび太は眼鏡のレンズの奥から冷徹な視線を投げかけ、ドラえもんを値踏みでもするように見つめた。
 さて、適当に宿題を終わらせた気になったら、今日は何をして遊ぼうか。鼻と上唇で鉛筆を挟みながら、のび太は今日一日のこれからに思いを馳せる。
 そのときだった。
 ――パン!
 乾いた音が、空気を震わせた。なぜか判らないが、どこか物騒な、人を不安にさせずにはいられない、そんな音だった。
 外から聞こえてきた。近くのようでもあり、遠くのようでもある。
 ――パン!
 もう一度。同じ音。さっきと同じ場所から。玄関のあたりから響いてきたように思えた。
 のび太は思わずドラえもんと顔を見あわせた。
 音はもう聞こえない。
「なんだろう?」
 のび太が訊いてみた。
「銃声――じゃないよね」
「まさか」
 と、掠れた声で言いつつも、ドラえもんの目には不安の翳りがさしていた。
 暫しそのままの体勢で耳をそばだてた。何か手掛かりになる物音でも聞こえてこないだろうかと。
「きゃぁぁぁぁぁーーーーー!」
 突然、耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。――家の一階から! 母親の声だ!
 そしてその声を遮るように、
 ――パン! パン! パン! パン!
 計四回、例の乾いた音がはっきり聞こえた。二階にいるのび太でさえも耳が痛くなるほどに、よく通る音だった。
 それ以降、なんの音も聞こえては来なかった。母親の声も父親の声も、物騒な乾いた音も。不気味なほどの静寂。
 これはただごとではない。間抜けな青いロボットも、深刻な空気に気づいたようだった。コロコロコミックを投げ出すと、慌てて飛び起きる。
「大変だ! 大変だ!」
 それだけを繰り返しながら廊下に飛び出し、階段を駆けおりていく。のび太もそれに続いた。
 のび太たちが階段をおりると、予想外の者と――いや、心のどこかである程度予測していたかもしれない――鉢合わせをした。
 背の高い男だった。初夏だというのに黒い厚手のジャンパーを着ている。サングラスをかけ、マスクをしていることから、明らかにまっとうな来客でないことが窺える。
 男は拳銃を手にしていた。
 不思議なことに、男はのび太たちの姿に驚いたように、暫し呆然としていた。だが思い直したように、無言で銃口を向けてきた。
 のび太は立ち竦んだ。
 ――殺られる!
 瞬時に諦観し、目を閉じるのび太。
 刹那――。
「どかーん!」
 ドラえもんの叫びとともに、ピストルの音とはまた違った、もっと大きな兵器みたような重々しい爆発音が、のび太の全身を震撼させた。
 拳銃はいつまでも撃たれない。
 恐る恐る瞼をあげると、のび太の瞳に、真っ赤に染まった廊下と、その中央に立ちつくす男の下半身だけが飛び込んできた。
 横のドラえもんを見れば、右腕に金属製の筒を填めていた。――空気砲だ。
 ドラえもんの「どかーん」という声とともに、周囲一メートル内の空気を一瞬にして凝縮し、圧搾し、さながら目に見えぬ空気の弾丸として前方に噴出する。ドラえもん自慢の二十二世紀の護身用武器。
 その威力は、眼前の男の身体が証明している。極限まで密度を高められた空気の塊は、マッハ八・六という信じられないほどの速度で打ち出され、男の腹を直撃し、上半身を木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。腰の一部と二本の脚だけを残して。廊下には細分化された肉片と大量の血液が飛び散り、地獄絵図と化している。また、空気の弾丸が生み出した超音波により、廊下の壁・天井・床すべての板がボロボロに崩れている。
「危なかったね、のび太くん。なぜか知らないけど、この男が最初何もしてこなかったんで助かったよ。これを取り出す余裕があったからね」
「うん、まったくだ。くわばら、くわばら」
 のび太はほっと胸を撫でおろした。この耳のない青い鉄屑も、たまには役に立つものだ。
「あっ、それより――」
 のび太は急いで居間に向かった。両親がテレビを観ていた部屋に。
 ドラえもんが短い脚を忙しなく動かし、のび太に続く。空気砲は既に四次元風ポケットに仕舞っていた。
「アッ! これはッ!」
 母も父も、物言わぬ肉塊と化していた。それぞれふたつずつ、胸に風穴が開いている。先程の四つの銃声と一致する。
 母親の眼鏡には血飛沫が飛び散ったらしく、色眼鏡のように真っ赤に染まっていた。
 父親の神経部分はまだ死にきっていないらしく、真っ白な眼球を飛び出させたまま、全身をビクビクと痙攣させていた。
 もはや、手のつけようがなかった。
「ド、ドラえもーん」
 流石にのび太も情けない声をあげた。太股のあたりが妙に温かい。失禁していた。
 ドラえもんはのび太の肩を軽く叩くと、
「しょうがないよ」
 と慰めた。しかし、そんな言葉ではのび太は納得しない。
「ドラえもん、なんとかしてよー」
「でもね、死んだ人を生き返らす道具なんてないんだよ」
「タイム風呂敷があるじゃないか!」
 怒りと困惑で何も判らなくなったのび太は、ドラえもんに飛びかかると、四次元風ポケットに手を突っ込み、目当ての品を取りあげた。裏表両面に幾つもの時計の文字盤が描かれた、風呂敷状の道具である。片面が時間を進め、もう片方が時間を戻す働きをする。
「あっ、駄目だよ、のび太くん!」
「うるさーい!」
 タイム風呂敷を両親の屍に被せるのび太。これで両親が撃たれる前の状態に戻るはずだ。何かとうるさい母親だが、失ってみてはじめて彼女の有り難みに気づいたのび太であった。
 やがて、タイム風呂敷の奥から、死臭が漂ってきた。
「おや?」
 と思っていると、明らかな腐敗臭が鼻をつき始める。
「だ、だから言ったのに……」
 ドラえもんが抗議の声をあげたが、時すでに遅し。
 タイム風呂敷が――風呂敷の中身が――今、ゆっくりと起きあがった。
 時計の文字盤が幾つも描かれた風呂敷が、ハラリと落ちる。
 どす黒く変色した二体のものが、姿を現した。
「やったー! パパとママが蘇生されたー!」
「違うよ、のび太くん! 現実を見るんだ。裏と表を間違えたから、時間が進んでズンビー(ZOMBIE)になっちゃったんだ! これはもう、きみの両親じゃない!」
「嘘だ! そんなの嘘だ! ほら、パパもママも笑ってる。ほら、手を伸ばしてこっちに近づいてくる!」
「危ない! のび太くん!」
 恍惚とした表情でいるのび太の二の腕を掴むと、ドラえもんは一目散に階段をあがった。
 のび太の部屋に入り、窓を開ける。
「な、何するんだよドラえもん!」
「のび太くん、現実から目を背けないで。きみのご両親は生ける屍と化したんだ。早く逃げなくちゃ、のび太くんもやつらの仲間にされちゃうよ!」
 ドラえもんがグーでのび太の頬を思い切り殴りつけると、のび太はハッとしたように混乱から目を覚ました。
「そ、そうだね、ドラえもん。逃げなくちゃ」
 階段をのぼる、ふた組の足音が聞こえてきた。急がねば。
 のび太とドラえもんはタケコプターを頭につけ、窓から空高く飛び出した。
 背後から元両親の口惜しそうな呻き声が聞こえてきたが、のび太もドラえもんも振り返らず、空へ空へと上昇し続けた。


 何度装着しても、このタケコプターの痛みには慣れることができない。自分の全体重を頭頂部の一点のみで支えているのだから当然なのだろうが、長時間飛行すればするほど、次第につむじが取れそうな痛みに我慢できなくなってくる。
 暫くドラえもんと一緒に、あてもなく町の上空を飛び回った。裏山に逃避しようかとも思ったが、そうしたところでどうなるものでもない。
 どのくらい飛んでいただろう。ふと下界を見おろしたドラえもんが、アッと叫びをあげた。
「のび太くん! 町が大変なことになっているよ」
 見れば、町中に生ける屍が溢れていた。
 どす黒い肌をしたものどもが、ヨタヨタと力なく徘徊し、まだ生きている者を見つけては、集団で取り囲んで肉に歯を立てている。
「うわぁ、うわぁ!」
 のび太はまたも失禁していた。紺色の半ズボンが、すっかり湿って黒く変色している。
「気を確かに、のび太くん。なってしまったものはしょうがないよ」
「うわー! うわー!」
 のび太の視界に、とんでもない光景が入ってきた。
 おさげが似合う、ピンクのワンピースの少女。静香だ。彼女が道の真ん中で、沢山の亡者どもに取り囲まれているのだ。
「きゃーっ! いやーっ、来ないでぇー!」
 持っていたバイオリンのケースを必死に振り回す静香だったが、痛みの感覚などとうに忘れ果ててしまっている死者たちには、全くの無駄骨だった。瞬く間に腕を、脚を掴まれ、路上に引きずり倒される。
「いやぁーーーーっ!」
 悲痛な叫びも虚しく、生ける屍どもは我先にと、静香の肉に喰らいつく。若く瑞々しい処女の肉は、彼ら生を忘れた者にとっては最高のご馳走なのだろう。
 亡者たちの中に一瞬、スネ夫や出来杉の姿を垣間見たような気がしたが、すぐに集団に飲み込まれ、見えなくなった。
 やがて白痴のような静香の笑い声が、屍どもの中から聞こえてきた。生きながら身体を喰われるという恐怖に、ついに精神のたがが外れてしまったのだ。
 引き裂かれる柔らかな腹。飛び散る血液と溢れ出す臓物。
 じき、静香の声も聞こえなくなった。
 死者たちが去った跡には、僅かな赤黒い染みだけが残されているのみであった。


「ドラえもん、このままじゃ町は全滅だよ」
 空中で、のび太はドラえもんに泣きついた。
 静香が亡者たちに凌辱されるのを目の当たりにし、のび太の精神も限界に達しつつあった。
 ジャイアンの変わり果てた姿も目撃した。Gペンを握ったままで硬直している腕を口に咥え、自分の店の前をうろついていた。あの腕は多分、ジャイ子のものだろう。
 ほうほうのていで逃げ回る学校の先生も見つけた。彼はスネ夫の母親に噛みつかれ、生ける屍と化していた。
 動く死体と化した出来杉を、同じく動く死体と化した同級生たちが襲っていた。頭蓋をかち割り、皆で争うように脳を啜る。出来杉の頭脳にあやかろうとでも言うかのように。
 のび太の知る人すべてが犠牲になっていた。どうしようもなく深い責任感に苛まれるのび太は、
「そうだ! ドラえもん、タイムマシンで過去に戻ったらどうだろう」
 今度は自分の独断で決めずに、ドラえもんにそう持ちかけてみた。
「ピストルを持ったあの男が家に来る前の時間に行けば、全てを元に戻せるよ!」
「そうだね、それは良い考えだね。どうして今まで気がつかなかったのだろう」
 短い腕で腕組みしながらドラえもんが頷いた。
 そしてのび太とドラえもんは、自宅の二階へ引き返した。


 部屋に亡者が侵入していないことを確かめて、のび太は漸くタケコプターの痛痒から解放されると、速やかに机の抽斗を開け、タイムマシンに飛び乗った。
 ドラえもんが運転席に正座し、行き先の時刻を設定する。
「だいたいこれくらいかな」
 とドラえもんが相談してきたので、のび太は曖昧に頷いた。
「それじゃ、行くよ」
 タイムマシンが動き出した。果てしなく続くワームホールを突き進む。


 空間に丸い穴があき、外の情景が見えた。家の玄関前。間違いなく到着した。のび太は急いで飛び降りる。
 後ろから続いたドラえもんは、呆然と立ちつくすのび太の背中に、したたかに鼻をぶつけてしまった。
「どうしたんだい、のび太くん――」
 のび太たちの目の前には、今まさに、のび家の表門を入ってきたばかりの、例のサングラスとマスクに黒いジャンパーの男が立っていたのだ。
 男は拳銃を持っている。
 男は銃口を向けた。
 ――パン!
 バタリ、とドラえもんがもんどりうって倒れた。空気砲を出す余裕もなかった。
 のび太は天を仰ぎ見た。
 やけに綺麗な青空だった。
 そして一瞬のうちに、全てを察したのだった。
 先程、家の廊下でこの男と鉢合わせをしたときに、なぜこの男が驚いたように呆然としていたのか。その理由がよく解った。
 男は、家に入る以前に、ここでのび太たちを射殺していたのだ。数時間前の未来からやってきたのび太たちを。だから、家の中でまた同じふたり組に出会って、訳が解らず呆然としていたのだ。殺したはずの子供と、妙な青いロボットが、何事もなかったように姿を現したのだから。
 タケコプターで二階から脱出したとき、もし背後を振り返っていれば、玄関の前にふたつの亡骸を見つけられたことだろう。
 両親を撃った四発の銃声の前に聞こえた、ふたつの銃声は、ここで、この玄関前で、ドラえもんとのび太を撃ったときのものだったのだ。
 でも、それならどうして、さっき二階の部屋に戻って来たとき、玄関前に何もなかったのだろう。上空から降りてきたのだ。厭でも目につくはずだ。
 だが、そんなことはもうどうでもよかった。
 ――パン!
 青い空が、真っ白に染まった。そしてすぐに、何も判らなくなる。

 ひとつのロボットとひとりの少年を撃ち、男は玄関のドアを開け、中に消えた。
 家の中から、女の悲鳴と、それに続く四発の銃声が聞こえてきた。
 少しして、天地がひっくり返るほどの大きな爆発音。
 静寂。
 二階の窓が開き、青いロボットと眼鏡の少年が空へと飛び立つ。
 やがて、玄関から、どす黒い肌をした動く死体がふたつ、ヨタヨタとよろめくようにして出てきた。
 二体は、玄関前の我が子の肉を見つけると、さも当たり前のことのように傍らに身を屈め、むしゃぶりついた。
 全てが無くなるまで、そう時間はかからなかった。骨まで噛み砕き、呑み込んだ。
 死者たちが、次の獲物を求めて町に彷徨い出る。
 青い、機械仕掛けの人形だけが取り残された。
 誰もいなくなった玄関前。
 今、青い塊が動いた。
 仰向けの体勢から、丸っこい手足を踏ん張り、立ちあがる。


 ドラえもんは、のび太の死体があったあたりを一瞥すると、ニヤリと嗤った。
 二十世紀の拳銃ごときで、この特殊装甲が撃ち抜けるはずもあるまい。
 作戦は終了した。
 あとは二十二世紀に帰還するだけだった。

(了)

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